昭和55年の人の賑わいを感じるシーンが郷愁を感じる映画八つ墓村
先日BSで映画「八つ墓村」をやっており、思わず見入ってしまいましたよ。
この映画ってこれまで3回やっており私が見たのは、1977年度版の金田一耕助が渥美清バージョンです。
主人公がショウケンこと萩原健一、まだ若かりし頃。
1977年というと昭和52年今から40年以上も前の事ですもんね。
その映画で主人公が実家に戻るシーンがあるんですが、降り立つ駅が備中神代駅。
どこそこ?備中だから中国地方、岡山のあたりって感じで、地元の人以外ほとんど知らないような駅。
岡山県新見市にあり、伯備線と芸備線の路線が分岐する駅なんですが乗客数は20人以下の無人駅。
だから乗降客だと40人以下位でしょうね。
その駅が40年前だとこんなに人がいたの?って感じで、立派木造の駅舎から降りてくる人がぞろぞろは行かないまでもぞろ位は映っているんですね。
そのシーンだけでも1日の乗客数がいるのではと思わせるくらいの人が見えるんですよ。
駅前には車も何台か停まってました。
映画だからエキストラ使って多く見せてるんでは無いのと思うかもしれませんが、それでも映像の合間から駅周辺の賑やかさが感じられるんです。
今でも簡素になった駅舎も昭和52年の映画では立派な木造で出来てました。
駅が街の中心で人の動きが活発にあったと思われます。
昭和52年にどの位の乗客数がいたかは調べられませんでしたが、明らかに多い感じです。
因みに2000年の平成23年には備中神代駅も今の倍位の乗客数がいたようです。
その時代からさらに23年前の事ですからもっと多かったことかと思います。
そして八つ墓村の集落にはバス停が映るんですがそこの前には雑貨屋さんがあるんですね。
映画では寅さんいや、渥美清の金田一耕助がアイスクリームを買うシーンです。
その映像がまた良いんです。
どの集落にもあったんだろうな、こんな雑貨屋さんや商店が。
よろずやと言った方があうかもしれないようなお店が。
バスを待つ間によろづやでタバコを買ったり、夕方になればビールや酒を買いに来る人も居たでしょう。
そうやって同じ集落の人が顔を合わせることも多かったでしょうね。
まだまだ公共交通機関に頼る部分が多かった時代、それだけ何処かで人と人とが顔を合わせる事も多かった。
映画八つ墓村の1977年版を観て、昭和の時代って良かったなあとしみじみ感じた駅とバス停のよろづやシーン。
車で出かけ、SNSやネットだけで繋がることの多くなった現代、直に出逢う事も本当に必要だと思います。
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